津波てんでんこは山津波にもいえると言うこと。

かざこしサイト
12日の中川村教育委員会主催の36災害50周年災害現地めぐりの折、学芸員さんの話の中で、一部落全員が亡くなってしまった事例の話しの中に、最初に災害にあった家の荷物を取りに全員で出かけ手渡しで荷物を降ろしていたところ、次の崩壊が発生し、その現場で働いていた人達全員が犠牲になってしまったとのこと。てんでバラバラに運んでいれば数人の犠牲で済んでいたかも知れないとのこと。
 
それを聞いて、津波てんでんこと言う言葉を思い出しました。津波が来たらてんでバラバラに逃げろと言うことですが、山津波が来たときもてんでバラバラ逃げたり行動しなければ集団でいては一挙にやられて仕舞う。人間の力では自然の脅威の下ではどうにもならないと言うことだと思います。
 
もう一つ貴重な話しは、災害にあって逃げられた場合は、戻るなと言うことです。これは山津波に限らず、川の氾濫などでも同じことですが、一旦逃げたのに、その後どうなっているか見に行き二次災害にあってしまった、とはよく聞く話ですが、いったん落ち着いたら見に行きたくなるのが人情ですが、自然の掟には逆らえないので、ここはぐっと自分を引き締めて留まっている強さを持っている必要があります。
 
それから家を建てる場合、沢筋、今は水は流れていなくても、大雨が降った場合水が流れて来易い谷筋近くには建てないと言うこと。窪みには水が溜まりやすく、たっぷりと水を吸い込み一挙に崩壊と言うことになってしまいます。そんなところがそこら中に見られました。
 
翻って我が家のことを考えると、飯田の家は尾根筋に立っているものの、山並みの中で見ると川筋に近いので危険はあります。以前家の裏の池の対岸の崖が崩れたことがあります。
 
その後修復されたので今のところ大丈夫ですが、大雨が長く続いた場合は、川島の状況を親類に電話で聞いて大丈夫そうなら川島に移動して大雨が止むのを待っている必要があります。
 
川島の家は、岩盤の上に建っていて、過去の大水でも被害は無かったのですが、上流にある大きい砂防ダムが決壊したらアウトです。寝ている間に決壊してしまったら運が無かったのだと思うしかありませんが、その後は自分は生きていないわけで、苦しまないで死んでいけることを願うばかりです。
 
昼間なら高い方向に逃げる一手です。逃げた方向から山津波が襲って来る可能性はありますがその時はその時です。でも日ごろからどちらの方向に逃げるかは考えておかないといけませんが。
 
今回の中川村の36災害被災地めぐりは大変勉強になりました。それにしても、今また木材輸入自由化以上に、広範な山間地の今度は平たい部分まで荒らしてしまうTPP推進を躍起になって推し進めようとしていますので、山間地は荒廃の一途、その影響が下流部にどういう影響を与えていくのか考えておかないといけなくなりました。
 
新潟や東北地方の農業でさえやっていけなくなるのですから、長野県のような山間地の農業が崩壊するのは時間の問題ですからこの話し単なる危惧には終わらないでしょう。
 
国を守ると言うことは、経済ばかりでなく、土、国土を守ると言うことでなければならないと思うのですが。経済界とその政治的代弁者である民主党政権は狂っていると思います。