天龍村で見た鳥居と信仰の力、恐ろしい気がしました。

かざこし
連日天龍村の記事を書いていますが、国道151号線を走っていて気になるものを見つけました。タイトルでは恐ろしいと書きましたが、この鳥居なんでこんなところに作ってあるのかというと過去に見たテレビの報道では、河原で大量のゴミが捨てられて困って、鳥居を置いたところ、ゴミ捨てが無くなったばかりか、拝んでいる人現れました。

要するに私が言いたいのは、日本人の歴史的史観の中に神道と言うものが今のミーちゃんハーちゃんにも深く残っていて、鳥居を見れば何か犯してはならない崇高なところという感覚が根深く根付いていて、ゴミを捨ててはいけないと言う気持ちになってくる。

宗教はアヘンだと言った人がいましたが、理屈抜きで何でもできると言う気分になるところが怖いなと思うわけです。

この地方の豪族でも略奪した地域のお寺や神社にはさまざまな恩典を与えて、衆民の気持ちに食い込んだと言うことが、いくつかの史誌に書かれていますが、これは日本に限らず世界的に宗教を民心を捉えるために利用したと言う事実から恐ろしいことに繋がると言うのもあながち間違ってはいないと言うことだと思います。