85歳以上の老婆が残された村を眺めて。私は裏切り者か。

かざこしサイト
昨日はお昼るご飯を風邪で寝込んでいる妻に食べさせて、次は辰野の老人ホームで待っているだろう母の元にと辰野図書館に行き飯田で作ったリストに基づいて駆り出し、母の元へ。2〜3日前に18冊くらいあった未読の本を読み切ってしまい、私が次の本を持って来るのを待っていたとのこと。

老いた母の唯一の楽しみを満足させてあげるのも子供の役目。

1時間半かけて来るのも大変なのですが母の嬉しそうな顔を見るとまた来なければと思ってしまいます。

その後、川島の実家に行き雨漏りの様子、水道の凍結状態の確認、冷蔵庫の確認、来ている郵便物の確認等々して帰って来ましたが、薄漏れる数軒の灯火、85歳以上の老婆がひっそりと生きているのです。

こういった光景を見るといつも罪悪感に苛まれるのですが、この部落の後継者になるべくオギャアとこの地に生を受けてから大学に進んだ18歳まで父や母、祖母、おじさん、おばさん、43軒あった部落の人々に可愛がられたり、叱られたりして育って、大学を卒業して東京で就職。そして56歳まで働いて今の生活があるのですが、部落の人々の思いとしては現役を引退したら村に帰ってきて私たちの代わりに村を引き継いで欲しいと言うことだと思います。

しかし30年以上工場生活を送った身では、体を縛ってガードレールや木にぶら下がって除草作業などできそうにありません。

南信州のあちらこちらを歩いていると大学を出したものの、帰って来ないで家と畑山を老親が守っている。

中には、月1回5〜6万円使って老親の元に帰ってきている人もいます。

個人がどこで働こうが、生活しようが法律的には問題ないのですが、私を育ててくれた多くの人々の期待には応えていない。

複雑な気持ちですね。