植えつけられた観念はなかなか抜けられない。

昨日もかやぶきの館でのんびりと薬草湯に浸かりながら考えたのですが、母が沖縄移住は絶対嫌だと言うのはもう観念の世界の話しで、いくら資料を揃えて話したところで、母を苦しめるだけだなと思いました。

理屈では分かっていても感情が許さないと言うことはよくあることです。

小学生だったか中学生のころだったか、同和問題の映画を見て、親が子供に相手が同和部落出身者であるので絶対に反対だと言って結婚を認めなかった話しだったのですが、私の結婚に対しても、母は常々もしお前の結婚相手が同和部落の出身者であったら、親子の縁は切ると言っていました。

全く科学的根拠のないことでもあったのに私としては母がそんなことを言うなんて信じられませんでした。

宗教と同じで一旦信じ込まされたらそこからなかなか抜け出せなくなってしまう。

沖縄は辺鄙な片田舎であり、そんなところに送り込まれるなんて信じられないことだと思っているようなので理詰めで母を追い込むのはたやすいのですが、万が一そのことによって母を苦しめ、自殺にでも追い込んでしまったら我が家は精神的に崩壊です。近隣縁者からは自殺者を出した家と見做され我々が生きている間、もしかしたら子供の時代まで後ろ指指されることになるかもしれません。

それに子供達からもお父さんやお母さんは、お祖母ちゃんを殺したと判断されかねません。

もうそうなったら家庭の中は崩壊状態と言ったようなものだと思います。

昨日もさてどうするかと言う名案も浮かばないまま帰って来てしまいました。

しかしこの問題、我が家に限った問題ではなく多くの善良な人たちに共通した問題であるので、徹底的に勉強して一つの解決策を編み出しておくのも価値あることかもしれませんのでチャレンジしてみようと思います。