昨日は運動場の草刈、6年近くで風景も変わってきました。

かざこし
地域に滝の沢クラブという概ね老人会世代に入る手前の60歳以上の人達で作る会があって、地域に貢献すると言うことで運動会前の草刈をしました。

毎年していることですが、40人はいるんじゃないかと思うほど盛況です。正に団塊の世代が集まったという感じでした。

皆年を取って行くんだなあと実感しました。

帰りに日頃とおらない、以前開業時宣伝チラシをまいた道を通って来たのですが、以前かかって札がなくなっていたり、私が近づく怖いほど吠えた犬たちがいなくなったり、当然ですが家々も古びてきています。

一番もったいないと思ったのは、広い果樹園の木が切り倒されていたことです。

ご近所の人にもうこの畑の木は古くなって実がならなくなってしまったのですかとお聞きしたら、今までやっていた人がお亡くなりになり、子供は勤めていて、とても手が回らないので全部切ってしまったとのこと。畑の雑草を刈り取るだけでも大仕事だからねと言っていました。

確かに今の農業では不安定すぎて、勤めを持っている子供さんたちからしたら、農業なんてやってなんかいられないよと言うことになると思いますが、国家の食糧問題とか、土地の有効利用という面から見たら大変もったいないことだと思いますね。

昨日は妻の母が東京から遊びに来ていて妻が付き添って帰られたので、終日今後の25年ぐらいの計画をパソコン上の長期スケジュール表を眺めながらざっくりと立ててみました。

先ずは私が平均寿命と言われる80歳で死亡、5〜6年先に妻が、さらに数年先に母が。この間に母が住んでいる家が大修理か建て直し。

問題は私が生きているうちにの資金を残しておかなくてはいけないことです。

それとその頃子供たちが45〜50歳、最悪リストラにあった時、取りあえずの避難先と、収入の道筋だけでもつけておくのも孫が14〜15歳、中学から高校生の頃、孫の教育を考えたら必要かななどとボンヤリ考えました。

まあ私のような凡人が考えることですからいくら考えても知れたものですがそれでも「賢者は最悪を想定し楽観的に行動する」と言うことに少しでも近づけられるのではないかと思ったわけです。

それまでに、しっかりした政権ができて、老後の心配もなく、理不尽なリストラも無いような社会になっていてくれたら良いのですが。そうすれば今の私の作業はとりこし苦労と言うことになるのですが。